視利研(視覚文化利的協力研究会)

視覚文化コンテンツと企業・団体のコラボについて研究する任意団体です。

赤松貞明

撃墜王 赤松貞明展 in筑波海軍航空隊記念館


企画展概要

昨年6月に高知で開催した「撃墜王赤松貞明展」を茨城県筑波海軍航空隊記念館にて開催!
破天荒で知られる撃墜王の地元高知に残されたエピソードを紹介する企画展となります。

  期  間:2023年5月5日()〜8月27日(
       休館日:毎週火曜日(臨時休業する場合があります)
       OPEN:9:00-17:00
  開催場所:筑波海軍航空隊記念館
       茨城県笠間市旭町654
  主  催:筑波海軍航空隊記念館
       赤松貞明記念館準備会(視利研)
  
 

        筑波企画展 計量版_page-0001




開催イベント
1.パネル展示
 撃墜王赤松貞明の生涯をパネル展示でご紹介いたします。
 展示期間:5月5日()〜8月27日()(火曜休館日)

 赤松貞明パネル
 1.撃墜王「赤松貞明」
 2.戦争と撃墜王
 3.航空会社の立ち上げ
 4.空のヒーロー
 5.最後の戦い
 6.モデルショップヨシオカ
 7.高知航空秘話

 その他
 高知戦跡「前浜掩体4号掩体」清掃活動パネル

 『ポストカード プレゼント企画』
 よみがえる空(表面)
  期間中ご来場いただいた方に絵画『よみがえる空』ポストカードをプレゼント。
  ※枚数が無くなり次第終了となります。ご了承ください。
  ※お一人様1枚のプレゼントとなります。




※以下は企画展開催日5月5日(金)限定の催しとなります

2.記念講演『平和な時代の撃墜王』
 戦前戦後、地元に残された平和な時代のエピソードを通じ撃墜王の知られざる一面に迫る。

 日時:5月5日(金)13:00〜
 演者:赤松貞明記念館準備会  福井正洋
 ※本講演はお席の予約が可能です。お席には余裕がありますが混雑回避のためにご協力ください。
 (予約が無くても視聴可能です。)

   ご予約はこちらから
   


 第1幕「撃墜王の恋愛空中戦」
 開幕:13:00~
 内容:アクロを通じた撃墜王の知られざる恋愛模様を語ります。
    空で通じた夫人との出会いと別れを紹介します。

 第2幕「双子機によって残された空港」
 開幕:14:00~
 内容:敗戦により翼を奪われた赤松が仲間達と共に再び空を飛ぼうとあがきます
    あわや夢破れかけた時、ある新興企業に助けられます。
    昭和20年代末再び空を目指した男達の挑戦を二つの航空機の記録から紹介します。

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     『クリアファイル プレゼント企画』
    クリアファイル画像
    ※講演会にご参加いただいた方に記念クリアファイルを1枚贈呈
    (無くなり次第終了となります)




3.絵画『よみがえる空』公開
 「 もう一度あの零戦で、こんどは弾の飛んでこない大空を思う存分に飛んでみたい」
 生涯最後の取材にこう応えた氏は、その願いを叶えることなく旅立つことになります。
 この願いを叶えるため航空機画家 佐竹政夫先生にご依頼し、愛機零戦で平和となった
 高知の空を練習生時代に憧れたリンドバーグと飛ぶ氏を描いていただきました。
 企画展開催を記念し、この絵画を公開いたします。

 展示日時:5月5日(金) のみ

   よみがえる空(表面)
        絵画『よみがえる空』



4.局戦『雷電』部品の展示
 「報国515記念館」中村館長のご厚意によりかつて赤松が搭乗した雷電の計器類
 またその武装である20㎜機銃を展示いたします。
 
 展示物
 ・雷電計器類
 ・九九式二〇粍一号機銃四型
 ・九九式二〇粍二号機銃四型
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 展示日時:5月5日(金) のみ

 

赤松が妻と出会ったロマンスの地「大村」を取材する

長崎県大村取材

赤松氏のエピソードの中でも特に目立つエピソードは何だろうか。
自分は岩井勉氏が残した大村航空隊時代のエピソードが思い浮かぶ

岩井勉氏は大村航空隊時代に赤松氏と交流しており数々のエピソードを残してくれている。
特に自身の披露宴会場への泥酔全裸乱入事件、そして憲兵隊と航空隊の乱闘エピソードは
今に残る破天荒な赤松氏のイメージを決定づけたものだろう。

また大村は赤松氏が最初の妻久子と出会った場所でもある。
赤松は大村航空隊時代に大村郵便局に勤める久子に出会い、これを射止めるために郵便局上空で航空機(おそらく戦闘機か)を使い求婚しており、この事を生前の久子はことさら惚気て子供達に聞かせていたようだ。

久子は戦後民間パイロットとしてもう一度空に挑戦する夫を自ら店を経営することで積極的に支えている。
旧軍搭乗員達が民間パイロットを目指す時、多くは身を案じる家族親族からの反対に合っていたのとは対照的だ。この違いはこの求婚にあると筆者は考える。

戦闘機搭乗員としても民間パイロットとしても重要な土地、長崎県大村を現地取材し撃墜王赤松貞明の足跡を辿った。



取材
取材1:ミライon図書館
まずは当時の地図を手に入れるため県と市が運営する大村の図書館「ミライon図書館」へ
3年前に開館したこの図書館は蔵書や資料がデジタル化が進み、窓口に行けば希望の資料を係員が探してくれるという素晴らしい図書館だった。
調査理由と高知から訪れたことを説明すると館内にある大村市歴史資料館にも応援を頼んでくれ、2館から資料・情報提供をいただけることになった。

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      ミライon図書館

入手した資料
・ゼンリン住宅地図大村市東彼杵郡(1964年)
・長崎街道大村路
・ふるさとの思い出写真集

このうち「長崎街道大村路」は戦後聞き取り調査を行い、昭和15年~16年の大村を再現した地図が掲載されており、「ふるさとの思い出写真集」にはなんと赤松が妻と出会った当時の郵便局写真が掲載されていた。
今回はこの二つの資料に基づき現地を調査を行った。


取材2:大村商店街(長崎街道)
図書館にて郵便局のおおまかな位置を教えてもらい駅前通りと長崎街道が交差する地へ。
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ナガノカメラ
当初は「ナガノカメラ」が旧大村郵便局の位置と図書館より聞いていたが、その建物は年期が入っており不自然だった。
散策しているとナガノカメラ敷地奥で農作業をするご隠居を発見、取材したところ現在の駅前通りは昭和40年頃に作られたもので地図に書かれているのは一本南の通りとのこと。
当時の郵便局には電信施設も入っており、大村に10件程度あった電話機への中継を行っていたとのこと。戦後は電信施設は別れ、残った郵便局も十八銀行(地元銀行)に建て替えられる。
現在は更地になっているとの現地情報を得る。

化粧品店岩井屋
空き地を発見するがなお確認のため近隣での聞き取りを行う。
幸い最寄りに老舗の化粧品店があったため店主の方に相談、銀行跡地と旧駅前通りの位置を確認することが叶い旧大村郵便局の立地が確定する。

松野印房
明治時代より続く印鑑屋「松野印房」にて聞き取り調査を行う。
花街が武部町(大村駅裏)にあったとの証言を得て調査することに。





取材により確認した地
1.旧大村郵便局跡
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    昭和24年頃の旧大村郵便局                          現在の建物
     昭和55年「ふるさとの思い出写真集」

赤松が郵便局で勤める妻久子のため上空で曲芸飛行を演じプロポーズをしたとされる郵便局跡地
現在は建物が一軒建ち隣は更地となっている。
正面を南北に走る長崎街道はアーケード化しており、対面にも建物があるため空は見えない状態だった。
しかし、戦前は正面には低い平屋の酒屋本店がたつのみで、その先はすぐ海であったため空は望めたとのこと。(ナガノカメラ翁談)


2.大村憲兵隊分隊跡地
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岩井勉氏の語る赤松貞明エピソードに派手に出てくる憲兵隊跡地
岩井勉氏の著書「空母零戦隊」では大村航空隊と憲兵隊の衝突の原因の一つとして出てくる。
証言を要約すると

①赤松氏や岩井氏等大村航空隊が伊勢町(商店街南部)の料亭で宴会
 ↓
②芸者が早々に居なくなったので赤松氏が呼びに行く
 ↓
③憲兵隊参上(赤松氏が粗相した?)
 ↓
④宴会終了、憲兵隊に挨拶に行くことに
 ↓
⑤夜も更けて静まり返った大村の本町を通り憲兵隊隊舎へ殴り込んで大暴れ
 ↓
⑥憲兵隊に根に持たれる
 ↓
⑦色々あって赤松氏呼び出しまで食らう


憲兵隊隊舎の跡地を訪れるとエピソードとは裏腹に静かな街の一角となっており、現在はケアハウスが建っていた。
取材を行った近隣店主は祖母からこの場所に戦中憲兵隊詰所があったことを聞いており
「この土地は人を泣かせた場所、憲兵隊詰所だった」と度々聞かされていたとのことだった
(他店の店主からも複数同様の証言を得ている)
地図上では「大村憲兵分隊」と書かれており、位置は大村商店街の中心。
伊勢町にあったとされる料亭と航空隊基地の間に立地しており、
基地へ帰る場合必ず憲兵隊詰所前を通る事が分かった。
この事から憲兵隊詰所への殴り込み事件は帰隊ついでに殴り込んだと推測できる。

これ等の情報を元に、当時の赤松等大村航空隊員の行動を地図に落とし込むと以下のようになる
大村航空隊隊員進行予想図




3.旧花街
岩井勉氏の証言には無いが街中での聞き込みにより戦時中の花街の位置が特定できた。
位置は大村駅東側(裏側)の坂を上がった先、少し小高くなった土地だった。
現地にて取材を伺ったところ戦前戦中当地には料亭が2軒、女郎屋が5軒長屋あったとのこと。
調べると料亭2軒はそのまま現存し旅館となり、女郎屋については1軒のみ残り民家となっていた。


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昭和2年に建てられた女郎屋建物戦時中は同じ建物が5軒連なり長屋となっていた
(せり出した箇所は玄関ではなく浴室)

なお女郎屋については現オーナー会うことが叶い、赤松貞明の事もご存じだったため
快くお話しを聞かせていただけた。
「戦後購入し改装しようとしたが気密性が高く、匂いがこもってしまい大変だった。」
「2階に4畳半の部屋が6つ、調理場があった。1階もほぼ同じ構造だった」
小さな建物だったがその用途から部屋数が異様に多く、静穏性が高い特殊な作りとなっていたことが分かった。

この周辺に赤松等大村航空隊の隊員も来ていたのだろうか?




まとめ
今回の調査で赤松エピソードを追体験することができた。
実際に歩いて回ると位置関係や移動距離もわかり赤松等の行動の理由や心理がわかるようだった。
心残りなのは伊勢町の料亭街と駅裏の花街を勘違いしてしまい伊勢町に行くことができなかったこと。
次回は伊勢町の料亭や旅館に泊まりたい。


あと大事なことが一つ
佐世保のレモンステーキくっそ美味い。
何なら今まで食べた肉料理の中でトップ張れる逸材。
長崎行ったら絶対食べたほうがいい。知らなきゃ損するレベル
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赤松貞明企画展 講演会

赤松貞明企画展講演会
7月3日(日)企画展を記念して講演会を開催いたしました。
当日は大雨が降る悪天候にもかかわらず県内外より多くの来場者にきていただきました。
来場者数は40名程(内県外客10名程)立ち見も生じる程の予想外の大盛況でした。

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展示の模様


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立ち見客多数、プラモを買いに来たキッズも異様な雰囲気に覗きに来る


講演会第一部「少年の見た撃墜王」
会場であるモデルショップヨシオカ創業者 吉岡嗣貴氏が講師を務めました。
吉岡氏はラジコン世界選手権世界大会で優勝された方であり日本人初のエアロスポーツチャンピオン。
(その後ラジコン飛行機メーカーも操業)
そんな吉岡氏が飛行機に興味を持つきっかけとなったのは少年時代上空を飛びかっていた民間時代の赤松氏の機体だったのです。
青年後は引退した赤松氏の居酒屋「万亀」の常連となり氏と交流を深めています。
講演会では生前の赤松氏との交流について紹介していただきました。

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講演の最後には赤松氏のご親族からもお話をいただきました。
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講演会第二部「双子機により残された空港」
戦後赤松氏も所属した民間航空会社「西日本軽飛行機協会」
この会社と「本田技研工業㈱」のつながりと高知空港設立への貢献について紹介する記念講演を行いました。

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来場者には調査レポートをプレゼント(゜_゜)

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講演後質問が相次ぎました。とても良い質問が続き、説明にも熱が入りました。


研究成果の発表の後、これまでの調査の経緯を説明。
古本屋で見つけた空港史、この中で見つけた本田宗一郎の名前から始まる調査。
本田技研関連団体やOBの方々の協力や本田技研本社への訪問等をご説明いたしました。
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苦労話にヒートアップ、来場者の方々の受けも良かったのでさらに話に熱が入り気が付けば30分の講演時間超過(´・ω・`)
会場をご提供いただいたモデルショップヨシオカ様も驚かれる盛況ぶり、大満足の講演会でした。


ちなみに講演会で配布した調査レポートについては調査協力団体「ホンダフライングクラブ」様のHPより読むことができますのでご興味のある方はご覧ください。

撃墜王 赤松貞明展  -よみがえる空-


企画展概要

赤松貞明は大戦期活躍した旧海軍戦闘機搭乗員です。
類稀な操縦技術や破天荒なエピソードを持つ撃墜王(エースパイロット)として広く知られる氏ですが、
戦後日本の空の復活を願い地元高知の空港民営化に心血を注いだ事はあまり知られていません。
当企画展はそんな時代のエピソードを通じ「平和な時代の撃墜王」を紹介することを目的としております。

  期  間:2022年6月25日()〜7月24日(
       定休日 祝日を除く水曜日
       観覧時間 10:30~19:00
  開催場所:モデルショップヨシオカ2階
       高知県高知市上町1-4-6  GoogleMap
       https://goo.gl/maps/JS1HroUWPMYg6WJ4A
  主  催:モデルショップヨシオカ
       赤松貞明記念館準備会(視利研)
  
   HP用ポスター  9230A380-9472-4114-9482-81FFA0F50D3A

 「モデルショップヨシオカと撃墜王」
  創業者 吉岡嗣貴氏は幼少期赤松貞明氏が操縦するパイパー・ペイサーに憧れ
  ラジコン飛行機を始め、日本人初のエアスポーツ世界チャンピオンとなられた方です。




開催イベント
1.パネル展示
 撃墜王赤松貞明の生涯をパネル展示でご紹介いたします。
 指定日には係の者が解説をいたします。

 展示期間:6月25日()〜7月24日()(水曜定休日)
 会  場:モデルショップヨシオカ2階


2.絵画『よみがえる空』除幕式
 「 もう一度あの零戦で、こんどは弾の飛んでこない大空を思う存分に飛んでみたい」
 生涯最後の取材にこう応えた氏は、その願いを叶えることなく旅立つことになります。
 この願いを叶えるため航空機画家 佐竹政夫先生にご依頼し、愛機零戦で平和となった
 高知の空を練習生時代に憧れたリンドバーグと飛ぶ氏を描いていただきました。
 企画展開催を記念し、この絵画を公開いたします。

 日時:6月25日() 11:00〜
 会場:モデルショップヨシオカ2階

           よみがえる空(表面)



3.記念講演『少年が見た撃墜王』
 赤松貞明が晩年まで経営した飲み屋「万亀」
 この店の常連であり、また幼少期より氏と交流があったモデルショップヨシオカ創業者
 「吉岡嗣貴」氏に戦後の撃墜王についてご講演いただきます。

 日時:7月3日()11:00〜12:00
 会場:モデルショップヨシオカ2階
 演者:モデルショップヨシオカ 吉岡嗣貴
 司会:赤松貞明記念館準備会  福井正洋

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           吉岡嗣貴氏                撃墜王も触れ、世界を取った機体 



4.研究発表『高知航空秘話 -双子機により残された空港- 』
 空港の民間化のため、航空会社を仲間達と立ち上げた赤松貞明は開業早々経営難という危機に陥ります。
 そんな彼等が導いた解決策とは?
 昭和20年代末、再び大空を目指した旧軍搭乗員達と挑戦を始めたエンジニア集団「本田技研工業」
 その不思議な縁について研究発表いたします。(本邦初の情報公開となります)

 日時:7月3日()13:00~14:00
 会場:モデルショップヨシオカ2階
 演者:赤松貞明記念館準備会     福井正洋
 協力:モデルショップヨシオカ 吉岡嗣貴

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       赤松最後の愛機「南風号」          本田技研初の社用機


5.ポストカード『よみがえる空』プレゼント
 期間中 航空機プラモデルを購入された方に絵画『よみがえる空』ポストカードを1枚プレゼント。
  
 日  時:6月25日()〜7月24日()(水曜定休日)
 対象商品:航空機プラモデル
 ※枚数が無くなり次第終了となります。ご了承ください。
 ※購入回数毎に1枚のプレゼントとなります。

 
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           表面                           裏面


6.駐車場について
モデルショップヨシオカ1Fには駐車場が18台分あります。
なお有料となりますが、徒歩2分圏内に複数コインパーキングがございますので
満車の場合は有料となりますがこちらのご利用をご検討ください。

エコロパーク
https://goo.gl/maps/fRTXPTfVeBFmCsti7
徒歩2分 駐車台数5台

ザ・パーク枡形第1
https://goo.gl/maps/exVE5Wrjmanme1yTA
徒歩2分 駐車台数20台


注 記
・体温が37.5℃以上の方はご来場をお控えください。
・ご来場の際は、マスクの着用をお願いします。
・消毒液を配置しております。手指消毒にご協力ください。
・発熱がない場合でも、咳や倦怠感など体調に不安のある方は、ご来場をご遠慮いただきますよう
 お願いします。
・場内において大声等での会話はご遠慮ください。

 

赤松貞明氏の出身地について2(調査1~2日目)

赤松貞明氏の出身地について追加調査を行う。

赤松氏出身説について
赤松氏の出身地については前回の現地調査で「高知市北部」とのご親戚の証言で確認が取れた。
氏の建てた一族の墓(氏自らも埋葬されている)もこの出身地の近くに残されており、
この墓は元々一族の墓があった一族所有の土地にこれらを合祀するために建てられている。
この事も赤松氏の出身地が「高知市北部」である事を裏付けている。

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氏が昭和30年代に建てた墓

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合祀前の赤松氏先祖の墓跡(本年8月発見)


では現在wikiに書かれている出身地「香美郡赤岡町」は氏にとって無関係な土地なのか?(2021年9月21日現在)
wikiの引用元としている「日本海軍戦闘機隊2」(2011 秦郁彦、伊沢保穂)には「高知県」としか書かれておらず、「赤岡町」説の根拠は何処にもない。
しかしあるいは赤松氏一族の出自という可能性もあるのではないか?
そう考え1回目の調査に続き、一族の出自についての調査を今回行った。


赤松一族の出自について
赤松氏の出自について調べるため、前回の調査で知り合った氏の従妹筋の親族(赤松本家)にご協力いただいた。
赤松本家に残された証言によると赤松家は赤松貞明氏より数えて2代前(貞明氏の祖父)に現在の香美市物部町大栃(おおどち)周辺(大栃は聞き違いの可能性あり)より高知市に出てきたとされており、具体的には
「御在所山という山の8合目付近、神社前の土俵周辺の土地が赤松氏一族所縁の地」とのこと。
証言の通りの土地があるのか、現地調査を行うことにした。


調査1日目:御在所山
なお証言の御在所山を調べると所在地は「香美市物部町」ではなく「香美市香北町」であり、さっそく食い違いが生じている。
現地調査を行うと確かに御在所山には「韮生山祇神社」という神社が存在した。
先日購入したクロスカブに乗って現地調査を行う。
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今回の調査拠点「ライダーズイン奥物部」に到着、準備を整えた後出発
宿泊料は1泊税込み3300円、簡易ベットと空調は有料オプションだったの2日間共借りることに
各部屋シャワートイレ完備、景色も良く大変居心地が良い宿だった。
https://rinnok.com/

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屋外ステージから湖畔を見ながら食べるキャンプ飯は最高なんやな




1日目:御在所山
香美市香北町のこの山は古来霊山とされてきた山で、落ち延びてきた安徳帝を平家一門が守るために隠れ住んだという伝承が残る地域だった。
この山の山頂に立つ「韮生山祇神社」平清盛の弟、宰相平教盛を祭ったことから御宰相山⇒御在所山となったらしい。
https://goo.gl/maps/LHxJSR55JtdLJTXw9
https://www.attaka.or.jp/kanko/dtl.php?ID=650

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橋を渡り

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前日の台風で冠水した道を抜け


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神社第一鳥居到着

韮生山祇神社第一鳥居にバイクを止め、ここからは徒歩
直線距離500mというところなのでまぁ何とかなるやろの精神で登り始める
...甘かった。登れど登れど山頂は見えず40分掛けてようやく半分という有様
周辺からは獣臭がし始め時刻は16時。ここに来ることは宿にも告げていないため身の危険を感じここで撤収
目印の土俵はおろか神社本殿にすら行きつけず...

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山のぬしガエルに挨拶して帰る

鳥居に戻った後、周辺の集落を探すも人家も無し、泣く泣く下山
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地域住民の方々より協力を得る
下山後このまま帰るわけにもいかないのでライダーズインのマスターにご相談。
地域住民に顔の広い方がおられるとのことで情報収集に協力いただけることに。
夕食後、宿を抜けて協力いただいた方のお店にご挨拶に向かう。

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人を介して御在所山周辺の観光案内や整備をされている顔役の方をご紹介いただけることになる。
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活動内容と赤松氏についてご説明



2日目:香北町に戻り情報聞き取り
お昼頃香北町に戻り情報をお持ちの方「黒岩世履」氏にお話を伺いに向かう。
黒岩氏は御在所山麓の梅久保地区在住で御在所山周辺で地域おこし・イベント等を企画されている方だった。
https://www.city.kami.lg.jp/uploaded/attachment/15288.pdf

赤松貞明という人物の紹介、一族由来の神社周辺に存在した土俵について尋ねたところ
・土俵は第一鳥居前にあった。
・土俵は神前相撲をするための場所だった
・戦前は香北町はおろか県の東端室戸からも力士が来ていた
・土俵周辺に存在した集落は「大束大久保(おおつかおおくぼ)」という場所だけだが現在は廃墟

なんと昨日のスタート位置の鳥居がゴールだった。
さらには知りたかった赤松一族が住んでいたと思われる集落跡の位置まで教えていただく。
「大久保」は元々は「王公方」と書かれていた土地だったらしく、神社に祭られている平教盛公との繋がりを思わせる土地だった。
神社鳥居よりわずか200m程の位置ということ、平家を祭る地の目の前ということで平家と縁が深い集落とみて間違いが無いと感じた。
赤松本家の方は地名を「大栃(おおどち)」と言われていたが「大久保(おおくぼ)」の聞き違いの可能性も出てきた。

3日目に再度韮生山祇神社の土俵周辺を探索することとなる。