長崎県大村取材
赤松氏のエピソードの中でも特に目立つエピソードは何だろうか。
自分は岩井勉氏が残した大村航空隊時代のエピソードが思い浮かぶ
岩井勉氏は大村航空隊時代に赤松氏と交流しており数々のエピソードを残してくれている。
特に自身の披露宴会場への泥酔全裸乱入事件、そして憲兵隊と航空隊の乱闘エピソードは
今に残る破天荒な赤松氏のイメージを決定づけたものだろう。
また大村は赤松氏が最初の妻久子と出会った場所でもある。
赤松は大村航空隊時代に大村郵便局に勤める久子に出会い、これを射止めるために郵便局上空で航空機(おそらく戦闘機か)を使い求婚しており、この事を生前の久子はことさら惚気て子供達に聞かせていたようだ。
久子は戦後民間パイロットとしてもう一度空に挑戦する夫を自ら店を経営することで積極的に支えている。
旧軍搭乗員達が民間パイロットを目指す時、多くは身を案じる家族親族からの反対に合っていたのとは対照的だ。この違いはこの求婚にあると筆者は考える。
戦闘機搭乗員としても民間パイロットとしても重要な土地、長崎県大村を現地取材し撃墜王赤松貞明の足跡を辿った。
取材
取材1:ミライon図書館
まずは当時の地図を手に入れるため県と市が運営する大村の図書館「ミライon図書館」へ
3年前に開館したこの図書館は蔵書や資料がデジタル化が進み、窓口に行けば希望の資料を係員が探してくれるという素晴らしい図書館だった。
調査理由と高知から訪れたことを説明すると館内にある大村市歴史資料館にも応援を頼んでくれ、2館から資料・情報提供をいただけることになった。
ミライon図書館
入手した資料
・ゼンリン住宅地図大村市東彼杵郡(1964年)
・長崎街道大村路
・ふるさとの思い出写真集
このうち「長崎街道大村路」は戦後聞き取り調査を行い、昭和15年~16年の大村を再現した地図が掲載されており、「ふるさとの思い出写真集」にはなんと赤松が妻と出会った当時の郵便局写真が掲載されていた。
今回はこの二つの資料に基づき現地を調査を行った。
取材2:大村商店街(長崎街道)
図書館にて郵便局のおおまかな位置を教えてもらい駅前通りと長崎街道が交差する地へ。
ナガノカメラ
当初は「ナガノカメラ」が旧大村郵便局の位置と図書館より聞いていたが、その建物は年期が入っており不自然だった。
散策しているとナガノカメラ敷地奥で農作業をするご隠居を発見、取材したところ現在の駅前通りは昭和40年頃に作られたもので地図に書かれているのは一本南の通りとのこと。
当時の郵便局には電信施設も入っており、大村に10件程度あった電話機への中継を行っていたとのこと。戦後は電信施設は別れ、残った郵便局も十八銀行(地元銀行)に建て替えられる。
現在は更地になっているとの現地情報を得る。
化粧品店岩井屋
空き地を発見するがなお確認のため近隣での聞き取りを行う。
幸い最寄りに老舗の化粧品店があったため店主の方に相談、銀行跡地と旧駅前通りの位置を確認することが叶い旧大村郵便局の立地が確定する。
松野印房
明治時代より続く印鑑屋「松野印房」にて聞き取り調査を行う。
花街が武部町(大村駅裏)にあったとの証言を得て調査することに。
取材により確認した地
1.旧大村郵便局跡
昭和24年頃の旧大村郵便局 現在の建物
昭和55年「ふるさとの思い出写真集」
赤松が郵便局で勤める妻久子のため上空で曲芸飛行を演じプロポーズをしたとされる郵便局跡地
現在は建物が一軒建ち隣は更地となっている。
正面を南北に走る長崎街道はアーケード化しており、対面にも建物があるため空は見えない状態だった。
しかし、戦前は正面には低い平屋の酒屋本店がたつのみで、その先はすぐ海であったため空は望めたとのこと。(ナガノカメラ翁談)
2.大村憲兵隊分隊跡地
岩井勉氏の語る赤松貞明エピソードに派手に出てくる憲兵隊跡地
岩井勉氏の著書「空母零戦隊」では大村航空隊と憲兵隊の衝突の原因の一つとして出てくる。
証言を要約すると
①赤松氏や岩井氏等大村航空隊が伊勢町(商店街南部)の料亭で宴会
↓
②芸者が早々に居なくなったので赤松氏が呼びに行く
↓
③憲兵隊参上(赤松氏が粗相した?)
↓
④宴会終了、憲兵隊に挨拶に行くことに
↓
⑤夜も更けて静まり返った大村の本町を通り憲兵隊隊舎へ殴り込んで大暴れ
↓
⑥憲兵隊に根に持たれる
↓
⑦色々あって赤松氏呼び出しまで食らう
憲兵隊隊舎の跡地を訪れるとエピソードとは裏腹に静かな街の一角となっており、現在はケアハウスが建っていた。
取材を行った近隣店主は祖母からこの場所に戦中憲兵隊詰所があったことを聞いており
「この土地は人を泣かせた場所、憲兵隊詰所だった」と度々聞かされていたとのことだった
(他店の店主からも複数同様の証言を得ている)
地図上では「大村憲兵分隊」と書かれており、位置は大村商店街の中心。
伊勢町にあったとされる料亭と航空隊基地の間に立地しており、
基地へ帰る場合必ず憲兵隊詰所前を通る事が分かった。
この事から憲兵隊詰所への殴り込み事件は帰隊ついでに殴り込んだと推測できる。
これ等の情報を元に、当時の赤松等大村航空隊員の行動を地図に落とし込むと以下のようになる
3.旧花街
岩井勉氏の証言には無いが街中での聞き込みにより戦時中の花街の位置が特定できた。
位置は大村駅東側(裏側)の坂を上がった先、少し小高くなった土地だった。
現地にて取材を伺ったところ戦前戦中当地には料亭が2軒、女郎屋が5軒長屋あったとのこと。
調べると料亭2軒はそのまま現存し旅館となり、女郎屋については1軒のみ残り民家となっていた。
昭和2年に建てられた女郎屋建物戦時中は同じ建物が5軒連なり長屋となっていた
(せり出した箇所は玄関ではなく浴室)
なお女郎屋については現オーナー会うことが叶い、赤松貞明の事もご存じだったため
快くお話しを聞かせていただけた。
「戦後購入し改装しようとしたが気密性が高く、匂いがこもってしまい大変だった。」
「2階に4畳半の部屋が6つ、調理場があった。1階もほぼ同じ構造だった」
小さな建物だったがその用途から部屋数が異様に多く、静穏性が高い特殊な作りとなっていたことが分かった。
この周辺に赤松等大村航空隊の隊員も来ていたのだろうか?
まとめ
今回の調査で赤松エピソードを追体験することができた。
実際に歩いて回ると位置関係や移動距離もわかり赤松等の行動の理由や心理がわかるようだった。
心残りなのは伊勢町の料亭街と駅裏の花街を勘違いしてしまい伊勢町に行くことができなかったこと。
次回は伊勢町の料亭や旅館に泊まりたい。
あと大事なことが一つ
佐世保のレモンステーキくっそ美味い。
何なら今まで食べた肉料理の中でトップ張れる逸材。
長崎行ったら絶対食べたほうがいい。知らなきゃ損するレベル
赤松氏のエピソードの中でも特に目立つエピソードは何だろうか。
自分は岩井勉氏が残した大村航空隊時代のエピソードが思い浮かぶ
岩井勉氏は大村航空隊時代に赤松氏と交流しており数々のエピソードを残してくれている。
特に自身の披露宴会場への泥酔全裸乱入事件、そして憲兵隊と航空隊の乱闘エピソードは
今に残る破天荒な赤松氏のイメージを決定づけたものだろう。
また大村は赤松氏が最初の妻久子と出会った場所でもある。
赤松は大村航空隊時代に大村郵便局に勤める久子に出会い、これを射止めるために郵便局上空で航空機(おそらく戦闘機か)を使い求婚しており、この事を生前の久子はことさら惚気て子供達に聞かせていたようだ。
久子は戦後民間パイロットとしてもう一度空に挑戦する夫を自ら店を経営することで積極的に支えている。
旧軍搭乗員達が民間パイロットを目指す時、多くは身を案じる家族親族からの反対に合っていたのとは対照的だ。この違いはこの求婚にあると筆者は考える。
戦闘機搭乗員としても民間パイロットとしても重要な土地、長崎県大村を現地取材し撃墜王赤松貞明の足跡を辿った。
取材
取材1:ミライon図書館
まずは当時の地図を手に入れるため県と市が運営する大村の図書館「ミライon図書館」へ
3年前に開館したこの図書館は蔵書や資料がデジタル化が進み、窓口に行けば希望の資料を係員が探してくれるという素晴らしい図書館だった。
調査理由と高知から訪れたことを説明すると館内にある大村市歴史資料館にも応援を頼んでくれ、2館から資料・情報提供をいただけることになった。
ミライon図書館
入手した資料
・ゼンリン住宅地図大村市東彼杵郡(1964年)
・長崎街道大村路
・ふるさとの思い出写真集
このうち「長崎街道大村路」は戦後聞き取り調査を行い、昭和15年~16年の大村を再現した地図が掲載されており、「ふるさとの思い出写真集」にはなんと赤松が妻と出会った当時の郵便局写真が掲載されていた。
今回はこの二つの資料に基づき現地を調査を行った。
取材2:大村商店街(長崎街道)
図書館にて郵便局のおおまかな位置を教えてもらい駅前通りと長崎街道が交差する地へ。
ナガノカメラ
当初は「ナガノカメラ」が旧大村郵便局の位置と図書館より聞いていたが、その建物は年期が入っており不自然だった。
散策しているとナガノカメラ敷地奥で農作業をするご隠居を発見、取材したところ現在の駅前通りは昭和40年頃に作られたもので地図に書かれているのは一本南の通りとのこと。
当時の郵便局には電信施設も入っており、大村に10件程度あった電話機への中継を行っていたとのこと。戦後は電信施設は別れ、残った郵便局も十八銀行(地元銀行)に建て替えられる。
現在は更地になっているとの現地情報を得る。
化粧品店岩井屋
空き地を発見するがなお確認のため近隣での聞き取りを行う。
幸い最寄りに老舗の化粧品店があったため店主の方に相談、銀行跡地と旧駅前通りの位置を確認することが叶い旧大村郵便局の立地が確定する。
松野印房
明治時代より続く印鑑屋「松野印房」にて聞き取り調査を行う。
花街が武部町(大村駅裏)にあったとの証言を得て調査することに。
取材により確認した地
1.旧大村郵便局跡
昭和24年頃の旧大村郵便局 現在の建物
昭和55年「ふるさとの思い出写真集」
赤松が郵便局で勤める妻久子のため上空で曲芸飛行を演じプロポーズをしたとされる郵便局跡地
現在は建物が一軒建ち隣は更地となっている。
正面を南北に走る長崎街道はアーケード化しており、対面にも建物があるため空は見えない状態だった。
しかし、戦前は正面には低い平屋の酒屋本店がたつのみで、その先はすぐ海であったため空は望めたとのこと。(ナガノカメラ翁談)
2.大村憲兵隊分隊跡地
岩井勉氏の語る赤松貞明エピソードに派手に出てくる憲兵隊跡地
岩井勉氏の著書「空母零戦隊」では大村航空隊と憲兵隊の衝突の原因の一つとして出てくる。
証言を要約すると
①赤松氏や岩井氏等大村航空隊が伊勢町(商店街南部)の料亭で宴会
↓
②芸者が早々に居なくなったので赤松氏が呼びに行く
↓
③憲兵隊参上(赤松氏が粗相した?)
↓
④宴会終了、憲兵隊に挨拶に行くことに
↓
⑤夜も更けて静まり返った大村の本町を通り憲兵隊隊舎へ殴り込んで大暴れ
↓
⑥憲兵隊に根に持たれる
↓
⑦色々あって赤松氏呼び出しまで食らう
憲兵隊隊舎の跡地を訪れるとエピソードとは裏腹に静かな街の一角となっており、現在はケアハウスが建っていた。
取材を行った近隣店主は祖母からこの場所に戦中憲兵隊詰所があったことを聞いており
「この土地は人を泣かせた場所、憲兵隊詰所だった」と度々聞かされていたとのことだった
(他店の店主からも複数同様の証言を得ている)
地図上では「大村憲兵分隊」と書かれており、位置は大村商店街の中心。
伊勢町にあったとされる料亭と航空隊基地の間に立地しており、
基地へ帰る場合必ず憲兵隊詰所前を通る事が分かった。
この事から憲兵隊詰所への殴り込み事件は帰隊ついでに殴り込んだと推測できる。
これ等の情報を元に、当時の赤松等大村航空隊員の行動を地図に落とし込むと以下のようになる
3.旧花街
岩井勉氏の証言には無いが街中での聞き込みにより戦時中の花街の位置が特定できた。
位置は大村駅東側(裏側)の坂を上がった先、少し小高くなった土地だった。
現地にて取材を伺ったところ戦前戦中当地には料亭が2軒、女郎屋が5軒長屋あったとのこと。
調べると料亭2軒はそのまま現存し旅館となり、女郎屋については1軒のみ残り民家となっていた。
昭和2年に建てられた女郎屋建物戦時中は同じ建物が5軒連なり長屋となっていた
(せり出した箇所は玄関ではなく浴室)
なお女郎屋については現オーナー会うことが叶い、赤松貞明の事もご存じだったため
快くお話しを聞かせていただけた。
「戦後購入し改装しようとしたが気密性が高く、匂いがこもってしまい大変だった。」
「2階に4畳半の部屋が6つ、調理場があった。1階もほぼ同じ構造だった」
小さな建物だったがその用途から部屋数が異様に多く、静穏性が高い特殊な作りとなっていたことが分かった。
この周辺に赤松等大村航空隊の隊員も来ていたのだろうか?
まとめ
今回の調査で赤松エピソードを追体験することができた。
実際に歩いて回ると位置関係や移動距離もわかり赤松等の行動の理由や心理がわかるようだった。
心残りなのは伊勢町の料亭街と駅裏の花街を勘違いしてしまい伊勢町に行くことができなかったこと。
次回は伊勢町の料亭や旅館に泊まりたい。
あと大事なことが一つ
佐世保のレモンステーキくっそ美味い。
何なら今まで食べた肉料理の中でトップ張れる逸材。
長崎行ったら絶対食べたほうがいい。知らなきゃ損するレベル