赤松貞明氏の出身地について追加調査を行う。

赤松氏出身説について
赤松氏の出身地については前回の現地調査で「高知市北部」とのご親戚の証言で確認が取れた。
氏の建てた一族の墓(氏自らも埋葬されている)もこの出身地の近くに残されており、
この墓は元々一族の墓があった一族所有の土地にこれらを合祀するために建てられている。
この事も赤松氏の出身地が「高知市北部」である事を裏付けている。

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氏が昭和30年代に建てた墓

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合祀前の赤松氏先祖の墓跡(本年8月発見)


では現在wikiに書かれている出身地「香美郡赤岡町」は氏にとって無関係な土地なのか?(2021年9月21日現在)
wikiの引用元としている「日本海軍戦闘機隊2」(2011 秦郁彦、伊沢保穂)には「高知県」としか書かれておらず、「赤岡町」説の根拠は何処にもない。
しかしあるいは赤松氏一族の出自という可能性もあるのではないか?
そう考え1回目の調査に続き、一族の出自についての調査を今回行った。


赤松一族の出自について
赤松氏の出自について調べるため、前回の調査で知り合った氏の従妹筋の親族(赤松本家)にご協力いただいた。
赤松本家に残された証言によると赤松家は赤松貞明氏より数えて2代前(貞明氏の祖父)に現在の香美市物部町大栃(おおどち)周辺(大栃は聞き違いの可能性あり)より高知市に出てきたとされており、具体的には
「御在所山という山の8合目付近、神社前の土俵周辺の土地が赤松氏一族所縁の地」とのこと。
証言の通りの土地があるのか、現地調査を行うことにした。


調査1日目:御在所山
なお証言の御在所山を調べると所在地は「香美市物部町」ではなく「香美市香北町」であり、さっそく食い違いが生じている。
現地調査を行うと確かに御在所山には「韮生山祇神社」という神社が存在した。
先日購入したクロスカブに乗って現地調査を行う。
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今回の調査拠点「ライダーズイン奥物部」に到着、準備を整えた後出発
宿泊料は1泊税込み3300円、簡易ベットと空調は有料オプションだったの2日間共借りることに
各部屋シャワートイレ完備、景色も良く大変居心地が良い宿だった。
https://rinnok.com/

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屋外ステージから湖畔を見ながら食べるキャンプ飯は最高なんやな




1日目:御在所山
香美市香北町のこの山は古来霊山とされてきた山で、落ち延びてきた安徳帝を平家一門が守るために隠れ住んだという伝承が残る地域だった。
この山の山頂に立つ「韮生山祇神社」平清盛の弟、宰相平教盛を祭ったことから御宰相山⇒御在所山となったらしい。
https://goo.gl/maps/LHxJSR55JtdLJTXw9
https://www.attaka.or.jp/kanko/dtl.php?ID=650

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橋を渡り

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前日の台風で冠水した道を抜け


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神社第一鳥居到着

韮生山祇神社第一鳥居にバイクを止め、ここからは徒歩
直線距離500mというところなのでまぁ何とかなるやろの精神で登り始める
...甘かった。登れど登れど山頂は見えず40分掛けてようやく半分という有様
周辺からは獣臭がし始め時刻は16時。ここに来ることは宿にも告げていないため身の危険を感じここで撤収
目印の土俵はおろか神社本殿にすら行きつけず...

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山のぬしガエルに挨拶して帰る

鳥居に戻った後、周辺の集落を探すも人家も無し、泣く泣く下山
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地域住民の方々より協力を得る
下山後このまま帰るわけにもいかないのでライダーズインのマスターにご相談。
地域住民に顔の広い方がおられるとのことで情報収集に協力いただけることに。
夕食後、宿を抜けて協力いただいた方のお店にご挨拶に向かう。

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人を介して御在所山周辺の観光案内や整備をされている顔役の方をご紹介いただけることになる。
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活動内容と赤松氏についてご説明



2日目:香北町に戻り情報聞き取り
お昼頃香北町に戻り情報をお持ちの方「黒岩世履」氏にお話を伺いに向かう。
黒岩氏は御在所山麓の梅久保地区在住で御在所山周辺で地域おこし・イベント等を企画されている方だった。
https://www.city.kami.lg.jp/uploaded/attachment/15288.pdf

赤松貞明という人物の紹介、一族由来の神社周辺に存在した土俵について尋ねたところ
・土俵は第一鳥居前にあった。
・土俵は神前相撲をするための場所だった
・戦前は香北町はおろか県の東端室戸からも力士が来ていた
・土俵周辺に存在した集落は「大束大久保(おおつかおおくぼ)」という場所だけだが現在は廃墟

なんと昨日のスタート位置の鳥居がゴールだった。
さらには知りたかった赤松一族が住んでいたと思われる集落跡の位置まで教えていただく。
「大久保」は元々は「王公方」と書かれていた土地だったらしく、神社に祭られている平教盛公との繋がりを思わせる土地だった。
神社鳥居よりわずか200m程の位置ということ、平家を祭る地の目の前ということで平家と縁が深い集落とみて間違いが無いと感じた。
赤松本家の方は地名を「大栃(おおどち)」と言われていたが「大久保(おおくぼ)」の聞き違いの可能性も出てきた。

3日目に再度韮生山祇神社の土俵周辺を探索することとなる。