視利研(視覚文化利的協力研究会)

視覚文化コンテンツと企業・団体のコラボについて研究する任意団体です。

2020年08月

赤松貞明氏の出身地について

赤松貞明記念館(仮)を作るにあたり、出身地ならではファミリーエピソードを探しに
wikiや色々な記事等に書かれている赤松氏の出身地「赤岡町」へ

事前に知人が居ないかご親戚にお電話
「赤岡町?出身地じゃないはずだけど?」
(どういうこっちゃ?('_'))
改めて聞くと貞明氏の出身地は高知市北部、現在は大手ショッピングセンターが建っている地域とのことだった。
ご親戚の本籍地もその土地らしい。
赤岡町については高知空港で働く際、空港最寄りの集落なので一時的に住んでいたのかも?とのことだった。
確認するために赤岡町、高知市双方で聞き込み調査をすることに。


赤岡町
市民館で相談、地域史に詳しい郷土史家を紹介してもらうもハズレ。
郷土史家の方の息子さんが偶然ミリオタで貞明氏のファンだったため個人的に調べた事があったらしいが不明。


高知市北部
ご親戚からお聞きした地域に1件赤松という家を発見し、アポなしインタビュー。
これが大当たりで赤松貞明氏の従兄弟の一家のお宅だった。
ご親切にお宅にあげてもらいお話をうかがう。

従兄弟の方は陸軍大尉で戦中はラバウルで航空隊の企画部?におられた方だった。
すでにお亡くなりになられており、息子さんにお話しを聞くこととなった。
貞明氏の家は確かにこの地域にあったとのことで、子供の頃のこちらの従兄弟さんと貞明氏は運動会で競った事を親族の飲み会の席で良く話していたとのことだった。
なお学区は現在の秦小学校。
戦後、西日本軽飛行機協会で働いていた赤松氏が学校上空を旋回してくれたという話が地域に残っているとのこと。
なお、従兄弟息子さんの貞明氏への感想「酒は強いわ腕力はあるわおっかないオジサンだった、だが人柄の良い豪傑という風だった」

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戦後直後の赤松家と空への思い
従兄弟一家のお話をうかがった後、ご親戚に改めて報告。
住んでいた家の事を思い出したのか色々話してくれた。
戦後高知へ戻ってきた貞明一家はこの地に大きな家を建てた。
近くの山(おそらく正連寺)にサツマイモを植えて家族で育てていた。
しばらくして貞明氏が西日本軽飛行機協会に参加することになると航空機を購入するためにその家も土地も売った。
家計を助けるために氏の奥様が経営を始めた店(これが万亀)に家族で移り住んだとのことだった。
まだ終戦から10年に満たない頃、生活も苦しいなかでの話である。


出身地を調べる中で私生活を犠牲にし、がむしゃらに再び空を飛ぼうとしていた赤松氏の姿が見えてきた。

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赤松貞明記念館(仮)について


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撃墜王、赤松貞明氏
高知県出身の撃墜王で海軍航空隊基地だった高知空港の民間空港化に貢献した人物。

自分は幼少期、予科練だった祖父から海軍航空隊パイロットの話を子守歌代わりに聞き、特に地元出身で破天荒だったこの方にとても魅力を感じていた。
祖父と赤松氏については話をした時いつも思っていたことがある。
「記念館が何でないんだろう?」という疑問だった。

月日が流れ祖父も亡くなり、赤松氏のことも忘れかけたこの頃、
海軍航空隊記念館や研究家の方々にお近づきになる機会があり、子供のころの疑問にまた突き当たり思った。

「記念館誰も作んないなら自分で作ればええやん」


そんなのりで赤松貞明記念館私設でノンビリ作ります。