視利研(視覚文化利的協力研究会)

視覚文化コンテンツと企業・団体のコラボについて研究する任意団体です。

掩体壕清掃活動(5月16日)

前浜掩体壕清掃活動5月16日
前々より準備していた前浜掩体壕4号掩体の清掃が16日より始まりました。
終戦後まとまった清掃活動は初めてとのことで76年振りの掃除となりました。
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グラマンのタイヤ
清掃活動の直前には清掃の噂を聞いた地元の方より米軍機の部品が残っているとの情報がもたらされます。
まずはこの米軍機の情報について、、、
掩体壕周辺に土地を持ち、高知海軍飛行隊部隊員に住居を貸していた地元土地所有者(故人)が
「グラマンのタイヤが4号掩体壕には残されている」と語っていたそうです。
昭和20年3月19日の基地への空襲では1機のF6F撃墜が確認されています。
この機体については戦後引き上げられ空港周辺の施設にプロペラとエンジンが残されています。
おそらくは同機体のタイヤではないかと予想されます。
今後の清掃ではこのタイヤの捜索も行う事になります。
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清掃当日(16日)
ガイダンス

参加者の方にはまず以下の手続きにご協力いただきました。
①検温 (コロナ対策で検温とマスクの着用が必要なことを説明)
②ボランティア参加者名簿記入 (ボランティア保険申請の為に名簿への記入)
③名札への氏名血液型記入 (事故に備えて名札の着用)
その後、安全対策のために危険個所、作業内容についての申し合わせ。
続いて史跡保全についての講演を聞いていただきました。

柔軟体操
ガイダンスが終わったら伝統のラジオ体操で柔軟です

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清掃開始
移動後早速清掃開始
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この日は掩体壕内の手前に分別スペースを作るために入口周辺のゴミを中心に搬出しました。
木材ゴミが2トン車1台(積めなかった分も1車分)、ビニールゴミ、粗大ゴミ、リサイクルゴミ等等
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外壁に張っていた蔦もすごい勢いで排除されます(゜.゜)
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高知新聞さんも天気も悪いのに取材に来てくれる
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市の想定以上のスピードでゴミが排出されたため1時間早く作業終了(゜.゜)ハヤイ
記念撮影をしてこの日は終了
参加者は総勢22名(内スタッフ8名)
土木系や農業系の参加者が多かったためか非常にパワフルで自主的に考えて清掃してくれる方ばかりで助かりました。
(゚∀゚)アリガタヤ

次回は今回出たゴミの分別と搬出を中心に行う予定です。
また人が集まってくれると助かる助かる



新聞掲載
5月20日の高知新聞に清掃活動の模様が掲載されました!
ちなみに赤松貞明の名前が紙面に掲載されるのはおよそ38年振りのこと。
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記者の方に赤松貞明についても説明。
取材後調べたようで、高知新聞とも関係性が非常に強い方という事を理解されたご様子
高知新聞に残る氏の資料提供について口添えしてもらえる事になる。
(゜.゜)狙い通り

5月30日の清掃も追跡取材してもらえる様子。



次回の清掃は5月30日8時30分より!
集合場所は前浜防災タワー!
表



掩体壕清掃活動

史跡 前浜四号掩体壕清掃活動について
 
【開催判断】令和3年3月27日時点
 令和3年5月30日 延期

 ※コロナ感染者増により延期とさせていただきます。
  改めて日程については告知いたします。


清掃活動概要
高知空港南に残る史跡「前浜掩体壕郡」
掩体壕とは装備・人員を敵の攻撃から守る為の施設で、南国市前浜に残る掩体壕群は
太平洋戦争時に作られた特に航空機を守る為の施設でした。
高知海軍航空隊日章第一航空基地の施設として太平洋戦争中建設された前浜地区掩体壕群は
7基の掩体壕から構成され、現在ではその数から県内有数の戦争遺跡群となっています。

           前浜四号掩体壕
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なかでも今回清掃を行う四号掩体壕は大戦中飛来した旧日本海軍大型機(銀河、一式陸上攻撃機)
を格納するために使用された物で、国内最大級の大きさを誇る掩体壕です。
この大型掩体壕は全国でも数基しか残っていない貴重な戦争遺跡ですが、長く資材置き場として
利用されてきたことから内部は数十年分のゴミが溜まった状態となっています。

          一式陸上攻撃機
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                                                            写真提供:坂井田洋治氏


近年、県内外より見学のために多くの方がこの掩体壕を訪れています。
この貴重な史跡をより安全に、より良く見学してもらうため有志を募り
南国市教育委員会の協力のもと清掃活動を行う事となりましたことをお知らせいたします。

                              赤松貞明記念館準備会


清掃活動内容・ボランティア募集内容について

【実施日時】5月16日、5月30日

【開催時間】8:30〜12:00(集合時間8:30)

【集合場所】南国市立前浜防災コミュニティセンター

      高知県南国市前浜1534-1

      地図検索ワード:「前浜公民館」
      駐車スペースが20台あります。お車はこちらにお止めください。 

【活動内容】①ゴミ搬出 ②草刈り

【募集条件】20歳以上で県内在住の方

【参加方法】事前登録等は不要です、当日時間までに集合場所までお越しください。
      なお、中止延期等のお知らせは当HPでお知らせいたします。 
【服  装】ケガから身を守るため長そでの服、長ズボン、底の厚い靴の着用を
      可能な限りお願いいたします。

      また、着用熱中症対策、新型コロナ対策をお願いしております。

                       帽子、タオル、マスク等をご準備いただきますとともに、着用をお願いいたします。

      なお、ゴミ袋、軍手、飲物はこちらでご用意します

【  お願い  】「草刈り鎌」「ノコギリ」をお持ちの方は、ご持参いただけますと幸いです。

【協力団体】共催:南国市教育委員会
      協賛:ダイドー・タケナカベンディング(株)、模型ミュージアムsnap
        (株)タカチ測建、モデルショップヨシオカ
【集合場所略図】

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お問合せ先

 赤松貞明記念館準備会

    ☎︎050-5328-6773

    電話受付時間:17:00〜20:00

 (Email) sikakubunka@gmail.com

 (Twitter)@tosappo_gup

告知資料
表 裏


赤松貞明氏の墓所について

先日ようやく赤松貞明氏の墓地にたどり着くことができた。

所在地は高知市北部の出身地最寄りの山中にあった。
(詳細な位置は伏せさせていただく)
現地調査の流れは以下の通り
①知人、親類への聞取り調査で高知市北部の山中と確認
②地域のふれあいセンターで聞取り⇒手掛かりなし
③高知市環境保全課で聞取り⇒赤松氏が亡くなった昭和55年当時に操業していた霊園を確認
④対象霊園管理会社での聞取り&墓を1塔づつ確認する。⇒手掛かり無し。個人所有の墓と推測
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⑤最寄りの寺で個人所有の墓が集まる地域を確認し現地捜索⇒手掛かり無し
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⑥調査内容をご親戚に報告⇒直近で墓参りをされていたご親戚から詳細な位置情報を教えてもらう
⑦半径1km圏内まで絞り込むが見つからず4週間進展なし
⑧再度ヒントを貰い調査⇒ようやく発見
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建立日は昭和35年11月30日、時期的に赤松貞明氏自身が建てた物だと思われる。
(近隣に散らばっていた家族の墓地をまとめるため建立したと親族に伺う。なお、氏には実弟(ヒデオ氏)も居られたので兄弟で協力して建てた可能性もがある)

この時期は赤松氏にとって受難の時期だった。
昭和34年1月、経営不振により西日本軽飛行機協会は大阪の不動産業者に航空機ごと身売りされる。
同時期この混乱に乗じて若林という人物が同協会名を語った詐欺事件を起こし、赤松氏も警察からの事情聴取を受けている。(当然無関係)
また詳細な時期は不明だが最初の妻、久子さんが亡くなられたのもこの時期と推測される。
久子さんは戦中に赤松氏が軍用機を使った猛アプローチで射止めた恋女房で、戦後は西日本軽飛行機協会で活動する赤松氏を支えるために飲み屋「万亀」を一人で切り盛りしていた女性。

家を売ってまで運営に関わった西日本軽飛行機協会が他人の手に渡り、支えてくれた妻も亡くした中でどんな気持ちでこの墓を建てたのかと思うと身につまされる思いになった。

赤松貞明氏の出身地について

赤松貞明記念館(仮)を作るにあたり、出身地ならではファミリーエピソードを探しに
wikiや色々な記事等に書かれている赤松氏の出身地「赤岡町」へ

事前に知人が居ないかご親戚にお電話
「赤岡町?出身地じゃないはずだけど?」
(どういうこっちゃ?('_'))
改めて聞くと貞明氏の出身地は高知市北部、現在は大手ショッピングセンターが建っている地域とのことだった。
ご親戚の本籍地もその土地らしい。
赤岡町については高知空港で働く際、空港最寄りの集落なので一時的に住んでいたのかも?とのことだった。
確認するために赤岡町、高知市双方で聞き込み調査をすることに。


赤岡町
市民館で相談、地域史に詳しい郷土史家を紹介してもらうもハズレ。
郷土史家の方の息子さんが偶然ミリオタで貞明氏のファンだったため個人的に調べた事があったらしいが不明。


高知市北部
ご親戚からお聞きした地域に1件赤松という家を発見し、アポなしインタビュー。
これが大当たりで赤松貞明氏の従兄弟の一家のお宅だった。
ご親切にお宅にあげてもらいお話をうかがう。

従兄弟の方は陸軍大尉で戦中はラバウルで航空隊の企画部?におられた方だった。
すでにお亡くなりになられており、息子さんにお話しを聞くこととなった。
貞明氏の家は確かにこの地域にあったとのことで、子供の頃のこちらの従兄弟さんと貞明氏は運動会で競った事を親族の飲み会の席で良く話していたとのことだった。
なお学区は現在の秦小学校。
戦後、西日本軽飛行機協会で働いていた赤松氏が学校上空を旋回してくれたという話が地域に残っているとのこと。
なお、従兄弟息子さんの貞明氏への感想「酒は強いわ腕力はあるわおっかないオジサンだった、だが人柄の良い豪傑という風だった」

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戦後直後の赤松家と空への思い
従兄弟一家のお話をうかがった後、ご親戚に改めて報告。
住んでいた家の事を思い出したのか色々話してくれた。
戦後高知へ戻ってきた貞明一家はこの地に大きな家を建てた。
近くの山(おそらく正連寺)にサツマイモを植えて家族で育てていた。
しばらくして貞明氏が西日本軽飛行機協会に参加することになると航空機を購入するためにその家も土地も売った。
家計を助けるために氏の奥様が経営を始めた店(これが万亀)に家族で移り住んだとのことだった。
まだ終戦から10年に満たない頃、生活も苦しいなかでの話である。


出身地を調べる中で私生活を犠牲にし、がむしゃらに再び空を飛ぼうとしていた赤松氏の姿が見えてきた。

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赤松貞明記念館(仮)について


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撃墜王、赤松貞明氏
高知県出身の撃墜王で海軍航空隊基地だった高知空港の民間空港化に貢献した人物。

自分は幼少期、予科練だった祖父から海軍航空隊パイロットの話を子守歌代わりに聞き、特に地元出身で破天荒だったこの方にとても魅力を感じていた。
祖父と赤松氏については話をした時いつも思っていたことがある。
「記念館が何でないんだろう?」という疑問だった。

月日が流れ祖父も亡くなり、赤松氏のことも忘れかけたこの頃、
海軍航空隊記念館や研究家の方々にお近づきになる機会があり、子供のころの疑問にまた突き当たり思った。

「記念館誰も作んないなら自分で作ればええやん」


そんなのりで赤松貞明記念館私設でノンビリ作ります。